防災を考える

9月1日の「防災の日」は、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんだものだそうです。また本日9月9日は「救急の日」です。

年々夏は暑くなり、台風、水害、地震と心配することが多く、心穏やかに暮らすことが難しいと感じる時もあります。
日本は現代に至る長い歴史の中で多大な自然災害の影響を受けています。その中で人々は祈り、戦い、挫けず立ち上がってきました。日本における最古の地震記録は『日本書記』に天皇5年(416年)7月14日に「地震」と書かれているそうです。


岡山県にも多大な被害があった2018年7月の西日本豪雨。 御休学区内も水害に遭い、浦間茶臼山古墳西側水田地帯も水没し一面海のようになりました。いつ起こるかわからない災害。私達に出来ることは何か。改めて考え、備えをしておきたいものです。



弥生・古墳時代の洪水痕跡が語りかけるもの

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さて、その遺跡の発掘調査ですが、調査を進めていると予想外の発見に出くわすことがあります。その一つが、洪水の痕跡です。洪水といっても、津波によるものばかりではなく、大雨による土砂崩れや、堤防決壊によって起きるものもあります。苫田ダムの建設に伴って発掘調査された鏡野町久田原遺跡・久田堀ノ内遺跡の洪水(土石流)痕跡は、まさにそのタイプでした。久田原遺跡では、現地表面から1m近く掘り下げたところで砂礫を多く含む層が顔を出しました。この砂礫層のすぐ上には古墳時代中期(約1,500年前)以降の集落や古墳が形成されていましたが、河川のすぐ近くでの調査ということもあり、これより下層には古い時代の生活痕跡はないと当初は考えられていました。しかし、部分的に深く掘り下げてみたところ、砂礫層の下から生活の痕跡をにおわせる黒色層が見つかりました。そこで、分厚く堆積する砂層を面的に取り除いたところ、驚いたことに保存状態のよい弥生時代から縄文時代にかけての集落が顔を出しました(写真参照)。

その弥生時代の地面の上に堆積した砂層は、厚いところでは約2mもあり、中には直径1mを超える大きい岩も含まれていました。弥生時代の地面にも、大きい岩が食い込んでいましたが、これは京都大学構内遺跡などの発掘調査例から土石流によるものだということがわかりました。縄文時代後期から断続的に約1,000年間居住地として利用されたこの土地は、弥生時代終末期頃(約1800年前)に発生したすさまじい土石流によってあっという間に埋め尽くされてしまったのです。

古代災害跡
大洪水に見舞われた弥生集落(鏡野町久田原遺跡)


出典。引用 岡山県古代吉備文化財センター