古墳時代の衣服
古墳時代当時、布地にする原料の多くは麻の仲間や蔓性植物で、身近な山野に自生する草木を使っていたと考えられています。
絹は卑弥呼の時代に養蚕が行われていたと「魏志倭人伝」が伝えています。また綿から布地を作られるようになるのは戦国時代以降になります。
基本的に布地は、縦糸と横糸を交差させることによって出来上がります。弥生時代前期頃から一部地域で織物の生産が始まったようです。人々の衣服がどのようなものであったか、人物埴輸に表現されているものから想像してみるしかありません。
千葉県人形塚古墳出土の髭の武人
現在の京成千原線(千葉県)のおゆみ野駅前には、かつて人形塚古墳という古墳時代後期後半に築造された全長42.6ⅿの前方後円墳がありました。
この古墳を発掘調査したところ大量の埴輪が見つかり、墳丘を巡るように円筒埴輪が並び、墳丘東側には30個体前後の人物埴輪を中心とした形象埴輪が並んでいたことが分かりました。
形象埴輪が並べられた墳丘東側は墳丘の平坦部が広く造られており、当初から形象埴輪を並べる意図があったことが分かります。
出典・引用 千葉市立郷土博物館
原始布は野生の草木から作った布帛
古墳時代前期頃の副葬品装飾に平織絹が多用されていたようですが、一般の人々が絹のような素材の衣服を着ていたとは考えられません。
古墳中期頃には渡来人が紡織を伝えたといいますから、その頃からは布地を織るための道具も工夫され発達していったようです。
皆さんは、織り機に糸を掛けて手織りをしたことがあるでしょうか。
コースターサイズの小さなものでも結構時間がかかります。糸が出来ている状態でもそうなのですから、植物から繊維を取り、人が着られる大きさまで布地を作るのは大層な時間がかかったと思われます。
この画像の花は、春から夏にかけて薄水色の花をつける「フラックス」という植物です。すらりとした長い茎を伸ばすのが特徴で、日本名「亜麻」の名のとおり、茎はリネン(繊維)に利用されます。
日本で麻が出土している遺跡の一つに、縄文時代早期(1万2000年前)鳥浜貝塚遺跡(福井県三方町)があり、日本最古の麻だと言われています。
麻の歴史はとても古く紀元前8,000〜10,000年のエジプトで、すでに亜麻が栽培されていたことがわかっています。
麻糸を取るには収穫したものから種や葉を取り除き茎だけにしたら、水に浸け置きして繊維を腐らせてから叩いていくと、余分な皮などが取れ必要な繊維だけが残ります。それを繰り返し、余分なところを地道に取り除いていきますが、糸にするまでにはかなりの時間が必要です。
衣食住に関わる作業にどれだけの手間がかかったかと考えると、凄いという一言だけでは済まされないと思います。
日本で古代から使われている布地には、日本三大古代織と呼ばれる 山形県「榀布
」・静岡県「葛布」・沖縄県「芭蕉布」があります。自分の住んでいる周囲の植物を利用して、人は布地を作ってきました。先人たちの知恵と工夫を少しでも理解して未来に繋いでいくことが大切だと思います。
麻の種類
■ 亜麻(あま)フラックス 亜麻科の一年草 リネン
■ 苧麻(ちょま)イラクサ科の多年草 ラミー
■ 大麻(たいま)桑科の一年草 ヘンプ