令和6年6月26日【岡山市長記者会見】


岡山市の文化財の日本遺産追加認定について

既に広報しましたけど、日本遺産の北前船寄港地と桃太郎伝説について、岡山市の文化財を追加認定する旨、文化庁から通知を受けました。

北前船については、従前から岡山市は参加をしておりました。これは、そもそも北前船っていうのは、淡路出身の高田屋嘉兵衛さんらが大阪から北海道まで様々な商品を運んでいく、それが各都市ごとに、各港ごとに立ち寄って運んでいく。そこでネットワークが出来上がる。そのネットワークを現在にも生かしていこうと、こういう趣旨であり、私もその関連の役員もやらせていただいているところですが、実はこれ当初、岡山市はあまり西大寺が寄港地だっていうのを知りませんでした。そしたら、商工会議所の人たちが、西大寺にも北前船が来ていたということをいろんな資料から発見してきまして、それは、この北前船の寄港地にひとつ加えさせてもらおうということで文科省(注:正しくは文化庁)に話をして、了解を取ったものであります。
従前から新しい北前船ネットワークの中には入っておりますけれども、これでいわゆる寄港地としてのネットワークにも入ったということになります。

岡山市長

もう一つが、桃太郎伝説であります。ここは倉敷の楯築遺跡、それから岡山市の造山古墳、総社の作山(さくざん)といいますか作山古墳、そして赤磐の両宮山古墳、これらが吉備の繁栄を物語るものだということで桃太郎伝説の基になったということで手を挙げ、日本遺産として認められたんですが、よく考えてみると、浦間茶臼山古墳っていうのが抜けているではないかと。これは当初からやればよかったと思うんですけれども。

浦間茶臼山古墳って何なのかということでありますが、今東区にあるものなんですけれども、3世紀の後半の古墳であります。皆さん、箸墓古墳ってご存じでしょうか。箸墓古墳っていうのは大和にある古墳で、卑弥呼の古墳と言われております。今、より研究を重ねているところでありますが、たしか卑弥呼の古墳は278m、その長さを持っております。それに対して、この浦間茶臼山古墳というのはちょうど2分の1の139mなんです(後刻、138mに訂正)。

それだけのことなのかっていうふうにおっしゃられる方もおられるかもしれませんが、実は3世紀には100mを超える古墳は、大和以外はどこもないんです。唯一あるのが、この浦間茶臼山古墳なんです。これは、今様々な形で研究も繰り返しているところでありますけれども、長さが2分の1というだけじゃなくて、形も完全な相似形なんです。したがって、大和の中での位置づけは、明確なものがあるだろうと。

3世紀、4世紀、幾つかの説がありますが、邪馬台国は、狗奴国っていう倭国の中の別の勢力とずっと戦っていた。それで、邪馬台国のほうには各豪族が集まっていた。そして、吉備の人間も大和に行っていたのではないかと言われています。

そういう面で、各地に大きな古墳はないんですけれども、これは特別にできている。魏志倭人伝で言っている投馬国、投げる馬の国と書いてあるんですが、これが魏志倭人伝上は邪馬台国が7,000人(後刻、70,000戸に訂正)、投馬国が5,000人(後刻、50,000戸に訂正)という、ほかとは全く違う人口を有するものとして言われています。

1つは、この投馬国の王の墓ではないかと、その可能性は大いにあるんではないかっていうようなことの議論が出ているところであります。そこでは、邪馬台国の一員として狗奴国と戦っていたんだろうと思うんですが、だんだんと5世紀になって4世紀の後半、韓国での戦いとかいろんなものがあります。そういう中で、造山古墳を生み出すまでの力を得るに至っていった。

造山古墳というのは、5世紀の初頭までの古墳では全国最大級のものであります。したがって、大和と相並ぶ勢力として吉備が5世紀の前半にはあったんだというように思っておりますが、私はそのプロセスを示すいい古墳なんじゃないかというように思っております。今、整備も進めさせていただこうと思っているところでありますけれども、古墳時代、3世紀から7世紀、吉備というのは非常に大きな役割を果たしていた。それをこれから一つ一つ専門家と共に立証していきたいというように思っております。私からは以上であります。

令和6年6月26日 岡山市-大森市長談 




出典・引用 岡山市役所HP