牛窓の古墳が面白い
牛窓(岡山県瀬戸内市)といえば、穏やかな瀬戸内海沿の町というイメージで古墳とは繋がらないように思っていました。

調べてみると天神山古墳・鹿歩山古墳・阿弥陀山古墳群・二塚山古墳・黒島古墳・花光寺古墳など瀬戸内市は古墳の宝庫でした。特に旧牛窓町では多くの古墳が発見されています。
真っ青な海と山々の緑。真夏に古墳巡りはきついですが、気持ちのいい季節には巡ってみたいものです。
牛窓の古墳群の概要
瀬戸内市の旧牛窓町では、百数十基の古墳が確認されています。岡山県内でも古墳のとても多い地域で、牛窓湾を取り囲むように5基の前方後円墳が存在しています。(岡將男作図・岡山古墳図鑑より転載・NPO法人公共交通ラクダ 提供)
これらの古墳は4世紀から6世紀後半にかけて築かれたもので、他にも「牛窓オリーブ園」近くの阿弥陀山古墳群には、50基を優に越える古墳が確認されていることにも注目です。
なぜ、牛窓に古墳が集中しているのか出典・引用 岡山観光WEB
牛窓の古墳研究の第一人者である岡山理科大学の特任教授、亀田修一先生(考古学)によると、牛窓にある前方後円墳は4世紀中頃から6世紀後半にかけて築かれたとされています。
前方後円墳は当時のその地の首長が築いたものですが、誰もが勝手に築けるわけではなく、大和王権とかかわりを持った中で築かれてきたものです。約250 年という長期にわたって前方後円墳が築かれ続けた例は県内でも少なく、史記にも出てくる吉備王国と大和王権の双方に重要視された吉備海部直(きびのあまべのあたひ)一族のものではないかと考えられています。
海上交通を背景に朝鮮半島との外交実務を担った一族の拠点として、牛窓周辺はこれだけの規模の古墳を継続的に築くことができる経済力や、政治力をもった地域であったことを物語っています。だから牛窓地域には80メートルを越えるような大規模な前方後円墳をはじめ、多くの古墳が築かれたのですね。
