植物のタネ
古墳時代の遺跡から出てくる種
植物のタネは確かに強い。次の生命を生み出すために強靭な皮で種が守られています。日本だけでなく世界各地で出土した種から発芽した事例はいくつかあります。
・シベリアの凍土で発見された約32,000年前の植物の種子が開花(ナデシコ科のスガワラビランジ)。
・2000年以上前の原史時代の種が土中(泥炭層)で発掘され発芽開花(千葉県 大賀ハス)。
・イスラエルにある古代宮殿の遺跡や洞窟から2000年以上前のナツメヤシの種から発芽。
・キュタフヤ・セイトオメル遺跡での発掘で3粒の種が発見され、4000年前のものと明らかになりこのうちの1つが発芽。
岡山県では日本遺産に認定された中で「桃の種」があります。皆さんご存知のように桃の内果皮は非常に硬く丈夫です。ここまで丈夫な皮に守られていれば、そのままの形で出土することも頷けます。
また、桃は古代の祭祀や儀式においても大切な役割があったと考えられています。
当時の人々の生活をうかがうことのできる貴重な種。古代の桃は野生種の小さな果実だったのでしょうが、人は時間をかけ現代のような形になるまで創意工夫を続けてきたと思います。
遺跡から出土する桃
果肉は腐りやすいのですが、桃核(桃仁を保護する内果皮)は、とても硬いので残りやすく、各地の遺跡から出土しています。
日本最古の桃核は、長崎県伊木力遺跡の縄文時代前期(約6,000年前)のもの、岡山県内では、津島岡大遺跡の縄文時代後期(約3,500年前)が最古です。
その後、弥生時代以降になると、多くの遺跡から出土します。これらの長さは現在の桃より短く、多くが2~3cmであることから、果実も現在よりも小さかったと考えられます。モモの断面イラスト
弥生~古墳時代の大量の桃出典・引用 岡山県古代吉備文化センター
一つの遺構から出土する桃核は、数個~数十個程度のことが多いようですが、まれに数百、数千を数える例があります。県内の弥生時代の遺跡では、百間川今谷遺跡の溝、津島遺跡の河道、上東遺跡の河道の例がそれです。これらで注目されるのは、桃核といっしょに見つかる豊富な遺物の中に、まつりや儀式を想像させる特徴的な土器や木製品、骨角器などが含まれる点です。そこに多くの人びとが集まり、これらを使った何らかのまつりが行われたと推測することもできます。
しかし、まつりの具体的な内容・目的などは明らかではなく、また、桃がそうしたまつりの中で果たした役割など、考えなければな らないことがたくさんあります。
県内の桃核出土遺跡
県内では、22遺跡で13,000個を超える桃核が出土しています。特に上東遺跡(倉敷市)、津島遺跡(岡山市北区)、百間川今谷遺跡(岡山市中区)などでは、弥生時代の溝や河道などから非常に多く出土しています。
遺跡名 出土総数 出土数
(弥生時代~古墳時代)上東遺跡 9,608 9,608 津島遺跡 2,415 2,415 百間川沢田遺跡 460 460 百間川米田遺跡 400 242 百間川今谷遺跡 384 384 鹿田遺跡 33 7以上 百間川原尾島遺跡 22 22 雄町遺跡 10 10 南方遺跡 多数 多数 遺跡別の桃核数
引用 岡山県古代吉備文化センター