一般国道 2号改築工事 (岡山バイパス)に伴う発掘調査



岡山バイパス工事に伴い多数の遺跡や古墳群が発見されました。

その際、埋蔵品の発掘調査をした資料が建設省岡山国道工事事務所・岡山県教育委員会によりまとめられています。その中で、浦間茶臼山古墳近隣の淺川2号墳・3号墳について一部引用抜粋させていただきました。


岡山県埋蔵文化財発掘調査報告書はpdfをダウンロードしてご覧になることができます。








一般国道 2号岡山バイパスは、岡山市浅川を起点とし、岡山・倉敷両市街の南部を西進し倉敷市大 西で玉島バイパスと接続する延長38.3kmの大規模バイパスです。

このバイパスは、昭和38年度(1963年)から事業に着手されておりこの岡山市浅川から福治間においては、竹原地区には高下遺跡及び根岸古墳が、楢原地区及び浅川地 区にはそれぞれ楢原古墳群及び浅川古墳群が存在するため、岡山県教育委員会とその取扱いについて 協議を重ねた結果、記録保存のための発掘調査を委託実施することになりました。

その結果、高下遺跡では竪穴住居や水田遺構などが、根岸古墳では横穴式石室や土猥墓が、楢原古墳群では 2基の古墳とその下層から土器棺や集石遺構などが、浅川古墳群では 2基の古墳と火葬墓などが発見されました。

平成10年(1998年)2月




岡山県教育委員会では、昭和62年以降建設省岡山国道工事事務所とバイパス予定路線内に所在する遺跡について保存協議を重ねてぎましたが、ルート設定上避けることのできない高下遺跡・浅川古墳 群ほか、楢原古墳群・根岸古墳の 4遺跡については、やむなく記録による保存の措置をはかることになり、平成2年度から7年度まで(平成 5年度をのぞく)岡山県古代吉備文化財センターが発掘調査を実施しました。

調査の結果、高下遺跡では、弥生時代中期と古墳時代初頭の二時期を中心とした集落遣跡が明らか になり、弥生時代中期の遺構からは、工房跡とみられる竪穴住居などが検出され、古墳時代初頭の遺 構からは、中部瀬戸内島嶼部との関連を窺わせる土器などが出土しました。また、浅川古墳群・楢原 古墳群は調査例の少ない古墳時代前期の小墳であり、この時代を考察する際の貴重な資料となりまし た。

なかでも浅川古墳群では、 3号墳の箱式石棺の保存状態が良く、赤色顔料があざやかな人骨とともに、筒形銅器がみつかるなど特筆されます。根岸古墳では、長大な横穴式石室から金銅装の太刀や 馬具、さらには各種の玉類や畿内風の士師器など、優秀な副葬品が出土し、当地方における最有力者 の古墳であることが明らかとなりました。

出典・引用  岡山県埋蔵文化財発掘調査報告123



淺川3号墳発掘調査


構築している石と石のすき間は、厚く粘土で覆われ、内部がほぼ密封された状態で検出されている。

石棺内部の大きさは、全長1.7m・幅0.37.-.,0.4m・ 高さ0.35,._,0.38mである。石棺内からは、尾根 上方の南西側に頭位をおく、 1体の埋葬人骨がほぼ完全な状態で検出された。

人骨は、 2個置かれた 枕石の間の鮮やかな朱色に染まった頭骨をはじめ、全身がほの赤く染まっている。赤色顔料は、構築している石棺の内面や床面にも認められ、特に頭部近くの蓋石等は鮮やかである。

埋葬人骨は、壮年 前半の男性である所見を得ている。また、埋葬人骨を赤く染めている赤色顔料は分析の結果、水銀朱と確認されている。

※調査後消滅

淺川3号墳丘検出状況



3号墳からは、いずれも箱式石棺内から副葬品として、銅鏡、會筒形銅器、鉄剣各1が出土しているのみである。
銅鏡 頭骨左側の枕石に立て掛けるように、鏡背面を上に向けて置かれていた。鏡背面側の一部には少し粗い布目の布が、また、鏡面側の一部には細かい布目の布が付着している。鏡は当初布に包まれて納められていたものと考えられる。

筒形銅器は頭位側の小口石に沿って、頭骨との間に口縁を南西に向けて置かれていた。全長15.3cmの円筒形で、やや裾開きになり僅かに脹らみをもった底部となる。口径2.3cm・底径3.05cmを測り、中間にも突帯を有する中間有帯式である。



出典・引用  岡山県埋蔵文化財発掘調査報告123






淺川2号墳発掘調査


今回発掘調査を行なった2号墳は、蓋石の5分の 3が失われて内部の攪乱を受けているものであったが、新たに発見され調査を行なった3号墳は墳丘こそ後世の改変を受けていたものの、主体部はほぼ完全な状態で残されており埋葬状況を明らかにすることができた。

しかし、 2基の古墳とも埴輪 をもたず、 2号墳の周溝から出士した小形丸底壺以外には土器もなく、古墳の時期を確定することは できない。 2号墳.3号墳とも埋葬形態等にそれ程の差は認められない。

箱式石棺を構築している石材の一部に、近くには産しないが浦間茶臼山古墳の竪穴式石室に使われているのと同じサヌキトイドが使用されていること等からも、両古墳の築造に大きな時期差はないものと見られる。

※調査後消滅


淺川2号墳丘検出状況





出典・引用  岡山県埋蔵文化財発掘調査報告123



資料を読んでいくと他にも相当数の古墳が見つかっていますが、調査後消滅したものが多く残念なことです。それでも道路を通過する都度、ここに多くの古墳が存在し、かつて暮らしていた人々による確かな日々の営みがあったのだと思いを馳るのも一考です。



※調査後消滅した古墳

寺山7号墳
寺山8号墳
寺山9号墳
楢原遺跡
楢原1号墳
楢原7号墳
楢原墳墓・散布地 など





出典・引用  岡山県埋蔵文化財発掘調査報告123







詳しい資料がご覧になりたい方はこちらから


▪️高下遺跡・浅川古墳群ほか・楢原古墳群・根岸古墳.pdf
▪️寺山古墳群・大日幡山城出丸跡.pdf 他