特殊器台


陶器作りの歴史

古墳の歴史を語るということは、日本の陶器作りの歴史を語るということかもしれません。

画像の土器は石津神社山頂(岡山県岡山市東区吉井)から出土したものだそうです。原型があまり壊れておらず経年変化による色合いも深みがあって素晴らしいです。

土器の内側の画像をご覧ください。シワ状の線がありますが、このことからヒモ作りとわかります。ヒモ作りとは名前の通り、土をヒモ状にして積み上げ形を作る手法のことです。通常はヒモの継ぎ目を綺麗に均(なら)しますが、これを作った方は内側の見えない場所だからと少しばかり適当に仕事をしたのかもしれませんね(笑)。

ヒモ作りは小さな作品から大型作品まで作ることが出来ます。作る際に下から少しづつ様子を見ながら積み上げることが出来るので特に大きい作品には向いた手法と言えます。

この作品の下の部分は少しへたっています。制作途中に重さで下がってしまったか、もしくはうっかり何かをぶつけてしまったかではないでしょうか。焼成時に高温でだれることはありますが、野焼きは焼成温度が1000°C以上に上がることはないので制作途中のアクシデントと考えられます。

人の手で作られたものには、その人が生きた時代背景が必ず反映されています。そして作り手の性格も想像できます。

岡山県東備地区は古くから「日本六古窯」のひとつ備前焼が盛んで陶芸に向いた良質な粘土が産出されており、陶棺など大型の出土品が岡山県吉井川流域から見つかっていることも頷けます。

発掘された出土品には、必ず作り手がいます。どんな人が作ったのだろうかと想いを馳せてみるのも興味深いことだと思います。