稲作
古代の食を考える
浦間茶臼山古墳の周囲の水田では田植えが行われ、カエルの大合唱で賑やかです。
日本で稲作はいつ頃から始まっていたのでしょうか。
文献によると中国から稲作が伝わったのが縄文時代、国内に稲作が広まっていったのが弥生時代。そして水路など現代の稲作に近い整備が行われて水田が広まったのが古墳時代なのだそうです。
水田を作るためには水を確保する為に溜池が必要であったり、水路の整備をしたりと土木工事を行うことになります。田んぼを整備する時に出てくる土砂をまとめておき、大量に溜まったそれを利用して古墳にしたのではないかという古墳残土説もあるようです。
あくまでも現代の我々には想像でしかありませんが、遥か遠い古墳時代から稲作が行われていたことは事実で、機械化が進んだ現代の農業を当時の人々が見たとしたらさぞかし驚くことでしょう。古墳時代に鉄製の農具が広がり現在の日本の農具の原形がこの時代に完成したといわれています。
浦間茶臼山古墳の周囲を見ても浦間・西祖地区にたたら製鉄跡地があるように、鉄や農業と古墳との関わりは深いと考えられます。
食べるものが沢山収穫出来ればそれを保存するようになり、食べ物の確保を巡っての争いも起きます。稲作を中心にして多くの人がまとまって住むようになれば権力闘争も発生し、支配者達は権力の象徴として古墳を築造するようになったと考えられているのは自然の流れです。
古代の「食」を考えると、それを得るために製鉄・土木工事など様々な文化が進んでいき現代にまで至っていることは明らかです。
我々が当たり前のように享受出来ている米は、遠い遠い古代からの贈り物であることに田植えを眺めながら改めて気付かせてくれます。