近隣の史跡
ともすれば忘れ去られがちな地元の小さな史跡。
時には散歩がてら訪ねて歴史を学んでみませんか。
倉安川 吉井水門
倉安川吉井水門は、吉井川中流と旭川下流をつなぐ、総延長約20kmの運河である倉安川の吉井川側の起点に設けられた取水口であるとともに、船通しの閘門(こうもん)施設なのです。この運河は、岡山藩主池田光政が延宝7(1679)年に、津田永忠に命じて掘削に当たらせ、1年間で完成しています。その目的は、岡山藩が17世紀後半に干拓した倉田・倉富・倉益の三新田への灌漑用水の供給、和気・赤磐・上道3郡の年貢米の輸送、岡山城下へ出入りする高瀬舟の水路整備などであり、通過地にちなんで倉安川と名付けられました。
引用 岡山シティミュージアム デジタルアーカイブ
史跡万富東大寺瓦窯跡
史跡万富東大寺瓦窯跡は、岡山県赤磐郡瀬戸町万富1962(現:岡山県岡山市東区瀬戸町万富)ほかに所在する。
JR万富駅の北方約400m にあたり、南北に細長い丘陵「大寺山」の西斜面に、連続して窯が構築されている。当該丘陵は、万 富の平野部北東端の丘陵地にあたり、その北方には、かつては山林を控え、東側には吉井川が瀬戸内 海へ流入する。良質な粘土の確保はもちろんのこと、燃料(木材)など原材料の確保が容易であった ことに加え、近くに製品運搬可能な水路を有しているという利便性が、当地に窯跡が築かれた要因であろうと考えられる。
引用 史跡万富東大寺瓦窯跡確認調査報告書2003 -岡山県瀬戸町教育委員会-
大廻小廻山城
岡山県岡山市北東部、独立小山塊の大廻・小廻山(小廻山山塊、標高199メートル)の山上に築城された古代山城である。文献に記載が見えない古代山城(いわゆる神籠石系山城)の1つで、現在一般的な山名を冠する城名は後世の命名による。城は大廻・小廻山の山上に土塁を巡らすことによって構築されており、特に3ヶ所の谷部では石塁の水門の構築が認められている。
両宮山古墳
両宮山古墳(りょうぐうざんこふん)は、岡山県赤磐市穂崎・和田にある古墳。形状は前方後円墳。両宮山古墳群(西高月古墳群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。
備前地方では最大、岡山県では第3位の規模の古墳で、5世紀後半(古墳時代中期)頃の築造と推定される。
日本遺産認定
出典・引用 Wikipedia
大多羅寄宮跡 岡山県岡山市東区
大廻小廻山城跡 岡山県岡山市東区草ケ部1815−2
万富東大寺瓦窯跡 岡山県岡山市東区瀬戸町
亀山城跡 岡山県岡山市東区沼1801
陣場山遺跡 岡山県岡山市東区東区瀬戸町旭ヶ丘2丁目2−78
宮山西塚古墳 岡山県岡山市東区百枝月1474
津下家之跡 岡山県岡山市東区沼1417
西祖地区忠魂碑 岡山県岡山市東区西祖183
西祖橋本遺跡 岡山県岡山市東区西祖
西祖山方前遺跡 岡山県岡山市東区西祖
旧山陽道 一日市一里塚跡 岡山県岡山市東区一日市
倉安川 吉井水門 岡山県岡山市東区吉井
千種山遺跡 岡山県岡山市東区瀬戸町鍛冶屋
大日幡山城跡 岡山県岡山市東区内ケ原
岡山孤児院発祥の地 岡山県岡山市東区上阿知2258
物理城跡 岡山県岡山市東区瀬戸町肩脊
旧山陽道 一日市本陣跡 岡山県岡山市東区一日市53−1
日清日露戦役戦没者忠魂碑 岡山県岡山市東区瀬戸町肩脊1320−1
旧山陽道 岡山県岡山市東区沼
肩脊城跡 岡山県岡山市東区瀬戸町肩脊667
嵐渓句碑 岡山県岡山市東区一日市41−18
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福岡神社 岡山県岡山市東区浅川 519・西祖218
石津神社 岡山県岡山市東区吉井716
近隣の史跡
古墳MAP
浦間茶臼山古墳近隣にはたくさんの史跡・古墳があります。何気なく歩いている場所、見慣れた風景の中に古代の歴史が眠っていることに驚かされます。
浦間茶臼山古墳近隣にある古墳
一日市古墳(岡山市東区一日市)- 前方後円墳
石津神社裏山2号墳(岡山市東区吉井)- 方墳
寺ノ奥山古墳(岡山市東区浦間・瀬戸町江尻)- 前方後円墳
茶ノ子山古墳(岡山市東区寺山)- 前方後円墳
角山西塚古墳(岡山市東区寺山)- 円墳
宮山西塚古墳(岡山市東区百枝月)- 円墳
他