備前の古墳

古墳時代が始まったのはいつ頃でしょうか。古墳時代の始まりは西暦250年頃(3世紀中ば)とされているようです。

それでは岡山県東備地方にある古墳はどうでしょうか。調査判明している古墳は60基程もあり、中でも一番古い築造とされているのは、浦間茶臼山古墳です。

改めて図表を眺めてみると、ここ備前地方に多くの古墳が存在していることがよくわかります。


備前の古墳


備前は岡山県の東南部に位置し、瀬戸内海沿岸部に形成された沖積平野から吉井川および旭川の中流域までを範囲とする。備中や備後に較べて面積は狭いが、沖積平野の発達が顕著であり、農業生産力は高かったと考えられる。

この備前地域には現在判明しているだけで60基の前方後円墳・前方後方墳が築かれているが、分布の中心は南部の平野地域である。備前南部の平野は備中南部の平野に接続しており、備前・備中南部の平野が吉備と呼ばれる地域の中枢であったと考えてよい。

60基の前方後円(方)墳のうち、副葬品や輪から時期を確定できるのは半数の約30基であり、その動態を検討するには必ずしも十分とはいいがたい。前期前半および中期後半の古墳の大部分は比較的細かな時期決定を行なうことが可能であるが、前期後半から中期前半にかけての古墳の多くは、かなり大まかな時期比定を行なわざるをえず、この時期の究明は今後の課題として残る。

備前南部地域には北側の吉備高原から瀬戸内海に向かって南流する大小の河川が幾筋も流れており、それらによって形成された大小の沖積平野が広がっている。前方後円(方)墳の多くはそれらの平野に面した丘陵の上あるいは斜面に築かれており、沖積平野上に築かれるものはごく稀である。

古墳の分布状況から備前を地域ごとに区分するとすれば、東から①牛窓湾、②吉井川東岸平野、③吉井川西岸平野、④砂川中流域平野、⑤吉井川中流域平野、⑥旭川東岸平野、②旭川西岸平野、⑧笹瀬川流域平野の八つの地域を設定することができ、それ以外に児島、あるいは旭川中流域などの地域も設定できる。


なお、このうち吉井川東岸平野や砂川中流域平野など多くの地域はさらにそれを細分して小地域を設定することが可能であるが、編年表では吉井川東岸平野と砂川中流域平野の2地域のみ区分して表示するにとどめている。

前方後円墳修成備前


古墳MAP





出典・引用 「前方後円墳修成 中国・四国編」 編者:近藤義郎 発行所:(株)山川出版社